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公開日:2022.10.16
発達・児童

インクルーシブ教育の未来

タグ: 発達障害心理社会モデル

日本は2014年に障害者差別禁止条約に批准しています。日本に対しては、先日、スイス、ジュネーブで初めての国連障害者権利委員会による批准国の取り組み審査が行われ、10月7日に日本に対する改善勧告が出されました(委員会報告書13ページ PDF)。改善勧告では、日本の特別支援教育が、医学的な基準でアセスメントされた障害によって障害者を普通教育から隔てていることなど、6つの点で障害者差別禁止条約の趣旨から逸脱しているとされ、特別支援教育制度を中止することおよび本来のインクルーシブ教育を履行することが要請されています(詳細はこちら)。

障害者の権利に関する条約第24条によれば、特別支援教育の基盤であるインクルーシブ教育とは「人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み」であるとされています(文部科学省 共生社会の形成にむけて)。その本来の目的に立ち戻れば、「自由な社会に効果的に参加すること」とは、子どもにとっての社会である学校教育においては、障害者と健常者を隔てることではなく、障害を多様性と認め、多様性を尊重した上で教育を受ける権利が保障されていることです。障害があることを理由に、障害者と「健常」児の間で、教育の場を隔てる現在の特別支援教育制度の考え方は、障害が多様性として尊重されていないこと、障害の有無によって「自由な社会に効果的に参加する」ことが制限されていることの2点において、条約の趣旨から逸脱しています。

私は、日本のインクルーシブ教育は、目的であるはずの「自由な社会に効果的に参加すること」と、その手段である「インクルーシブ教育」が逆転していて、手段が目的化していると感じます。本来「自由な社会に効果的に参加する」ことを目的としたときに、その手段である「インクルーシブな教育制度」はどのようになものになるのでしょうか。

教育現場で「障害」ととらえられる状態には、目が見えない、耳が聞こえない、色の区別ができないといった身体的な障害に加えて、知的障害、空間認知や短期記憶の障害、数的概念理解の困難、協調運動障害などに起因する学習障害、ものごとの概念理解や感情の共有に困難があり、興味関心の狭さや感覚過敏・感覚鈍磨と相まって、結果として社会性・コミュニケーションの質的障害から学校生活に困難をきたす自閉症、注意の持続と衝動コントロールの苦手な多動性障害などの障害があります(他に「場面緘黙」なども障害としてとらえられるでしょう)。それぞれの「障害」をもつ子が、学校教育において「障害」があっても「自由な社会に効果的に参加する」にはどうしたらよいかを考えてみましょう。

例えば目が見えない子は、耳(聴覚)と点字(触覚)をつかった教育があっているでしょう。これは一斉教育でなく、少人数の個別の学習が当たり前になれば、より授業に参加しやすいですし、電子デバイスを用いた教育が個々人の特性に合わせて使うことが当たり前になれば、「健常」児と一緒に学習することができるでしょう。

色の区別が難しい子には、色覚異常のある子が認識しやすい色の使い方について、文部科学省が黒板(白板)やパワーポイントのスライド作成ガイドラインをつくると「健常」児と一律に授業がうけられそうです。

自閉症の子が学校生活での困難感を減らすには、相手の感情をケースバイケースで伝える大人のサポートが有効で、これは成人では雇用の現場で制度化(厚生労働省 発達障害者の就労支援)されています。これを学校でも行えば自閉症の子の助けになるでしょう。また、障害理解の授業をカリキュラム化することで、コミュニケーションを円滑に進めるためのスキルを教育をうけた全員が身につけることができるでしょう。

知的障害の子が「障害」を感じなくて済むには、義務教育年限内に留年の制度を設けて、一定程度の「学力テスト(読み書きテストの点数)」で一定の基準を満たさないと進級できないような仕組みを組み込むことで、同一年齢、同一学年が当たり前の現在の制度から、異なる年齢の子が同じクラス内で学ぶことが当たり前になることになるでしょう。優秀な子には飛び級もあってもいいのではないでしょうか。結果として、現在、「グレーゾーン」や境界知能とさいてクラス内で困難を抱えている子の学力差は年齢差に置き換えられ、クラス内で知的障害を意識せずに、よりその子にあった環境が設定されるでしょう。しかし、知的障害が中度から重度、最重度の子には、教育の目的を、知的能力の向上から生活能力の獲得に置き換えたうえでの教育にかえる必要がでてきます。この生活能力の獲得の一部に「健常」児との共同のプログラム、例えば遠足や生活などの社会性を身につける教育プログラムが入るでしょう。重い障害のある子の兄弟や家族がもつ困難感を教育の中でとりあげる、あるいは体験するプログラムがあれば、教育がエンパシーを向上させる機会となり、社会全体がよりインクルーシブになれるのではないかと思います。

学習障害のある子がうけやすい授業は、例えば初めから補助線やマス目の引いてある黒板を用いることで空間認知の弱さを補う仕組みがあることや、ノートも一律に全員に取らせるのではなく、全員にプリントを配って初めから穴埋め形式にして黒板の書き写し作業をなくすこと、教科書読み上げのアイテムを使えるようにすること、動画撮影や板書の撮影を許可することなどで負担感の軽減が期待できます。そして、これを特定の「障害のある子」にだけ許可するのではなく、クラスの全員が使えるようにすることで、「障害」を意識せずに、それぞれの子が自分に合った方法で授業を受けることができるようになります。宿題はこれも全員に対して、自由課題や従来の課題からの選択式にして、読み書きに困難のある子でも困難感を感じずに選べるようにすることで、自分の「障害」を感じることなく学習を進めることができるでしょう。特定の子だけを対象にするのではなく、全員が、自分にあった方法と内容を選べるようにすることが肝心だと思います。

注意の持続と衝動コントロールに特徴のある子では、同じ場所で関心のないことに取り組むことが難しい場合があるでしょうから、クラスの中で、学習内容がそれぞれに異なってもよいことになれば、自分の関心をもてる学習内容を勉強し、場所も一つのクラスでなく、図書室や職員室内など、いくつかの場所を移動しながらでもできる工夫ができるかもしれません。保護者によっては、公教育に任せずに、自分でその子にあった教育をデザインするということがあると思いますので、それを制度化して認めることも選択肢として考えられます。

これらのことを公教育で行おうとすると、学力のいっそうの向上を求める保護者は進学優先の学校にお子さんを進学させようとすることもあるでしょうし、保護者の経済力が、こどものうけられる教育の質をきめることもあるでしょう。また、自宅で保護者がデザインした教育をうけるお子さんもでてくるとおもいます。教育における多様な選択肢を許容しながら、それぞれに適していると感じられる教育を選べるようになり、結果として、教師と保護者、子の3者ともに「障害」のあることもないことも意識することがなくなったときに、日本の教育が本当にインクルーシブになったといえると思います。

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